式内 曾枳能夜神社
Contents
概 要
社 号 式内 曾枳能夜神社
式内社 出雲国出雲郡 曾枳能夜神社
読み:古 ソシ、現 そきのや
出雲国風土記「曾伎乃夜社」
合殿 熊野神社 伊弉册命(いざなぎ)速玉男命(はやたまお) 豫母都事解男命(よもつことさかお)
所在地 島根県出雲市斐川町神氷823
旧地名 出雲国出雲郡
御祭神
伎比佐加美高日子命(きひさかみたかひこのみこと)
配祀 伊弉冉尊(いざなぎ-) 速玉男神(はやたまおー) 豫母都事解男神(よもつことさかのおのかみ)
例祭日 10月19日
社格等
『延喜式神名帳』(式内社)
出雲国:大2座・小185座
出雲郡(イツモ) 58座(大1座・小57座)
『出雲国風土記』「曽伎乃夜社」
近代社格制度 旧郷社
創建 年代不詳だが、天平5年(733)『出雲国風土記』に「曽伎乃夜社」として記載されているのでそれ以前にはあった
本殿様式 大社造変態 金属板葺
境内摂末社(祭神)
式内社 出雲国出雲郡 同社韓国伊大弖奉(からくにいだてほ)神社 御祭神 素戔嗚命、五十猛命
出雲大神社、岩神(神魂伊能知奴志命)、若宮社(土租神)、支比佐社(伎比佐加美長依彦命)、釜神社
一口メモ
国道9号線から県道197号線を南下すると三叉路を左折。曾枳能夜神社←の道路標識があるのですぐ分かった。
神名火山である仏経山の神。所在地は神氷とあるがマップでは氷室。大字が神氷で字が氷室らしい。
歴史・由緒等
『出雲国風土記』「神名火山」 郡家の東南三里百五十歩なり。高さ百七十五丈、周り十五里六十歩あり。 曽支能夜社に坐す伎比佐加美高日子命の社、則ち此の山の嶺にあり。故、神名火山と云う。
往古には仏経山頂に鎮座。奥宮跡の石碑があるらしい。
その後現在の地に遷座された。
御由緒略記
曾枳能夜神社
御祭神 伎比佐加美高日子命
当社は、延喜式内社で、出雲風土記に「神名火山(中略)曾枳能夜社に坐す伎比佐加美高日子命社、即ちこの山の嶺に在り。故れ神名火山と云ふ」と記されてあります。
御祭神はこの地方(キヒサの里)一帯を守ります首長神であり、出雲大神の祭り主でありました。
古事記垂仁天皇の条に見られます「出雲国造の祖、伎比佐都美」は当社の御祭神であり、同条「石の曾の宮」とは当社であると考えられます。
明治5年2月郷社に列せられています。
例祭日 10月19日
合殿 熊野神社
御祭神 伊弉册命・速玉男命・豫母都事解男命
当社は天正年間広島甲田城主宍戸隆家が熊野より勧請せし社であります。修験者(山伏)による「延命長寿、極楽往生」を祈願する道場でありました。
元神氷字宮谷にありましたのを、明治44年4月9日に本社に合祀されました。
例祭日 4月9日
韓国伊太氏奉神社
御祭神 素戔嗚命・五十猛命
当社は、延喜式内社で、出雲国内六社の中の一社であり出雲風土記には、審伎乃夜社と記されています。
御祭神は植林・殖産興業の神であり、「韓国」の名称や「からのそほりの命」との別名は、古代出雲と韓国との間の深い交流を知ることができます。
元神氷字宮谷に在りましたのを明治44年4月9日、本社境内に遷座されました。
例祭日 旧2月6日-「社頭掲示板」-
境内・社叢
社頭 社号標・出雲国風土記登場の地標柱
社頭掲示板
二の鳥居・参道石段
手水鉢 拝殿
拝殿扁額 本殿
左境内社 韓国伊太氐神社 右境内社(詳細は下)
伎比佐神社・若宮神社 出雲大神社
境内左手境内社 岩神(神魂伊能知奴志命) 釜神社
地名・地誌
地 図
交通アクセス・周辺情報
参 考
「延喜式神社の調査」さん、他
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